ブーツの呪い編 4
「会長ォー、ついでにちょっとこっちも見ていいですかー?」
「こらこら、今日は生徒会の用事だってこと忘れちゃ困るよ。荷物の手伝いで呼んだ後輩も困ってるじゃないか」
「あんたたちィ! まだ少しくらい平気よね?!」
「ういーす、よろこんでー↓」
「へーい! よろこんでー↓」
ああ、ああ、あの子たちカッわいそう。
それにしてもまだ午前中だってのに、良く買い込んだわねぇ。
「あーそーだー! キミたち、重いんなら先にガッコに置きに行っていいわよ。これ電車代、残ったら飲み物かアイスでも買いなさい。あ、じどうはんばいきで買わずにコンビニで買ってレシート必ずもらうのよ」
「やった! あざース!!」
「あとは軽いものだけだから、あたしと会長で十分だから」
「お先に失礼しァース!」
うっわー、とうとう後輩追っ払って、会長と2人だけのデートに持ち込んじゃったわ。
……って、こっちに来る!
「動くな!」
カオルが私の腕を掴んで引き留める。
「だって……」
「今動くと余計怪しいぜ」
カオルと私の身長差が二人の特徴になってしまっているから、このままだと視界の脇で、なんとなく私達だって認識されてしまうかもしれない。
雑踏の中で何かに気づく時って、きっかけはだいたいそういう既視感だから。
そうしてジロジロ注視されたら、ユカリなら絶対私達だって気付くはず。
こうなったら……
ショーケースに向かったまま、カオルの隣で、ガラス面に向かって、ゆっくりと…… 屈む……
あ、自分の姿が映ってる。
うっすらとショーケースのガラスに映った自分の姿が……
ものすごく、エッチで……
屈んだまま、何かがゾクゾクと昇って来る。
ガクガクと体が震える。
私のすぐ後ろをユカリ達が通り過ぎるのが見えた。
目の前のショーケースの明かりが、露出オーバーになって視界を覆う。
白い……
真っ白だ……
フッと後ろに倒れそうになったのをガシッと支えられた。
身体を熱い拍動が満たす。
「大丈夫か、ナナ」
トロンとした顔で、返事出来ない。
「はふっ……」
1〜2分したら落ち着いた。
「ああ、ごめんね。なんかふわっとしちゃって」
「立てるか?」
「うん…… おーっと!」
つま先立ちのまま屈んだ状態からいきなり立つと、後ろへふらつく。
それもドスッとカオルに支えてもらい、なんとか立ち上がった。
ああ……
ああ……
ふわっとなった後も、余韻を噛み締めながら、まだまだこの晒し台の上に居なくちゃならないんだ。
夢見心地を過ぎても、まだずっとこれが続くんだ……
逃げられない……
本当に逃げられないよう……
カオルはしっかりと腕を組んでくれている。
「大丈夫か、これからまだまだ歩くからな」
む! 無理! もう無理ィ!!
「……『いいわよ』」
ゾクゾクゾクゾクゾクゾク!
逆のこと言っちゃう私の口!
「強がんな」
「えっ?!」
「もう気分がドロドロしてんの、丸わかりだぜ。ていうか、怪しいオーラ出まくりで、後ろくっついてくるヘンなやつまででてきたぞ」
「うそぉ!」
ガァーーッと真っ赤になる。
「休むか」
エスカレーターで上に上がって、食堂階のエスカレーターホールにある長椅子に腰かけて少し休憩。
ユカリ達は買い物に夢中でまだここまでは来ないだろう。
「これ、交換しろよ」
カオルがやけにぱんぱんのショルダー背負ってると思ったら、中はスニーカーだった。
「サイズは合うはずだから。 万一合わなくても、家くらいまで保つだろ」
それを見て、スッと気力が戻ってきた。
「ありがとう。でも、バカにしないで。私が好きでやってる『息抜き』なんだから、やり遂げてみせるわ」
「おいおい無理すん……」
「でもちょっと休ませて」
カオルにドスッともたれかかって、そのまま数分間眠り込んだ。
目覚めると気分もスッキリしてて、立ち上がって初心に返り、カツ、カツと歩き始めた。
「もう大丈夫なのか?」
「うん、平気。 疲れたら、ちゃんと言うわ」
「オッケイ。なら、ちょっと家電付き合ってくれ。母さんに洗濯機のごみ取りネット頼まれてんだ」
「いいわよ」
そしてまたエスカレーターに乗る。
色々な女性のブーツやらハイヒールを気にして見てしまう。
そして、またあることに気付いた。
ひょっとして、私みたいに、誰かの命令でこんな高いブーツ履かされている人が居るかもしれないってこと。
家電の階に着いた。
エスカレーターホールの正面は冷蔵庫のコーナー。
やっぱりヒールの高い人を探しちゃう。
あれっ?
あの人……
「オレ会計に並んでくるから、ここで待っててもらっていいか、ナナ」
「うん」
冷蔵庫を若い夫婦らしき2人が見てる。
女の人、すっごいヒールのブーツだ。
「やっぱビールが死ぬほど冷やせないとね」
「お前飲み過ぎ。それに最近焼酎派っつってたろ?」
「そー焼酎ンまいよねー! そーだ!この上でもりいぞー飲めんのよーあとでいこー」
「お前その甘えたしゃべり方やめろよ」
「えー? たまにはいいじゃん」
うわー、こっちが具合悪くなりそうなくらいラブラブだわ。
将来結婚なんてしたら、みんなあんな風になるのかしら。
見たところ2人とも20台後半ぐらいのようだけど、結婚したらずっとあんなにベタベタするのって有り得ないわよね。
男の人はどことなくカオルに似てる雰囲気がある。
背が高くてメガネ掛けてキリッとしてて、とてもカオルとは似ても似つかないのに。
女の人は、背は私より低いけど、スタイルのいい美人だ。
なんだか子供のまま大人になっちゃって、苦労無さそうな雰囲気の人。
仕事とかも腰掛けOLさん?
結構高そうな毛皮のショートコートを羽織ってて、中がハイネックのセーター、かなりピッチリしたジーンズ穿いて、裾はブーツに入れている。
そのブーツが私のタイプに非常に近い。
もっともその女の人のはエナメルだから、私のなんかよりやたら目立つけど。
もう大人だからハイヒールなんて慣れ切っているのか、私のようには意識せず、普通に立っている。
でも……
あの感じ……
今日見た誰とも違う。
そしてその女性がカタログを床に落として、ピョコッと屈んで拾う瞬間、ジーンズとセーターの間がぱっくり開いて女性の背中の一部と下着の上の縁が露になった。
私の目に飛び込んだのは、黒く縁取りされた銀色のベルト。
あれが下着?!
女性は慌てる様子もなく、自然に背中に手を伸ばし、セーターの裾を引っ張って隠すと、カタログを拾ってすぐに立ち上がった。
上からコートが被さって来て、背中はすぐに見えなくなってしまった。
それにしても、あれだけ急に屈んだり立ったりしたのに、よろけもせず凄い。
「お前いつまでたってもドジだな」
「うっさいなー! 仕事で失敗しないからいいじゃんかぁ」
「仕事で失敗したらシャレになんないだろ」
「だーかーらーぁ、普段はドジでもいいのー 可愛げがあるとか思えよー」
「はーいはいはい」
その女性の所作がいちいち気になる。
確かにすっごい美人なんだけど、それだけじゃなくって、どこかに不思議な緊張感があるというか……
私も冷蔵庫を覗くフリをして、その女性に近づいた。
コートの襟で見えにくかったけど、近づくとハイネックのセーターの首周りが不自然に膨らんでる。
ゴク……
まさか……首輪……?
良く横顔を見ると、耳が赤く染まってる。
店内の熱気だけじゃ無い感じ。
……ホンモノだ!
本当に居るんだ!
私の『息抜き』みたいなコトを、マジでやってる人が!
しかも夫婦ってコトは、あんなことや、こんなことや、あああああああいうことまでぇっ?!
それにそれに、何だかわからないけど、金属の何かを穿いてた!
「ナナ、おいナナってば!」
「うきゃっ!?」
「ばか、何て声出すんだよ。待たせたな」
私の奇声に、その夫婦がこっちに気付いた。
その女性は私のこと上から下まで品定め光線をピーッって浴びせたあと、もういっかい私のブーツをジッと見詰め、そしてカオルのことをチラッと見てから、それはそれは素敵な笑顔でニコッと笑った。
普通似たようなアイテム持ってる人が居るとツーンとするもんだけど。
少なくとも笑いかけることは無い。
どうなってんの?
「会計が混んでて…… 待たせて悪かったな」
「ううん……」
立ち去りながらあの女性が気になって仕方がない。
「ねぇカオル」
「何だよ急に」
「結婚しても、こういうことって続けられるのかな」
カオルはギョッとした顔をして私を凝視する。
「あ、カ、カオルとって話じゃないのよ! いいい一般論として」
「そ、そうだよな。ま、相手次第、ナナ次第だろ。もっとも普通の奴じゃナナを満足させられないだろうな」
「ひどーい!」
蹴り入れようとして自分の立場に気付いた。
け、蹴れない!
「う……」
ゾクゾクゾクゾク
「ふぁッ……」
一瞬バランス崩しそうになったことに気付いて、スッとためらいなく腕を組んでくれるカオル。
きっと結婚しても大丈夫だよ。
さっきの女性のように。
ずっとこんな恥ずかしいことさせられて……
ずっと見られて……
ずっと守られて……
ずっと何かを嵌められて……
一生かけて、煮込まれるように、調教されちゃうんだ……
もう完全に夢見心地だった。
カオルに寄り添ってただ歩くだけで気持ちいい。
私の頭の瓦礫(がれき)が洗い流されて行く。
生徒会も、クラブも、めんどくさい人間関係も。
さっきカオルに蹴りを入れられなかったように、今はストレスになることを考えるの禁止。
そして禁止は、実は私の権利。
なにもしなくていい権利。
ただカオルに身を任せ、処刑台に晒されて。
店内の喧騒が消えた。
私だけの静寂の中に居る。
腕に力を入れれば、カオルの手応え。
大丈夫だ。
カオルが居る。
このまま舞い上がっても、絶対掴んでいてくれる。
大丈夫……
歩いてる。
ずっと歩いてる。
静寂の中を。
こんなに人が居るのに。
甘い、熱い、塊が、下腹部から染み上がる。
ゾクゾクゾクゾク
おしっこ漏らしそうなほど震えてる。
声、出ちゃう。
「ふわぁぁあああああああ!!」
クワッと目を剥く!
あ、歩いてる。
頭がピカッと真っ白になったのに、私、歩いてる!
歩きなから、こんな……
こんなことって……
ブーツ履けない!
もう二度とこのブーツ履けない!
だって、履いたらずっと、こんな……
こんなことになっちゃう……
歩きながら、ずっと……
ぶるぶる震えながら歩く私の耳に、店内の喧騒が戻ってきた。
「大丈夫か、ナナ」
「ふあッ…… へ…… いき……」
「メシ食って帰るか。」
「うん」
「じゃ、ラーメンでも」
「すしー!」
「ええええ?」
皿が積み上がる度にカオルの顔が青くなる。
「んーー! 中トロ最高!」
「な、なんでお前の『息抜き』にオレが奢んなきゃなんねーんだよ」
「だって、デートまでワンセットだって言ったー」
「デートじゃねえって『処刑の日』!」
回転寿司でとんでもない単語を叫んで注目を浴びるカオル。
「なら、なおさらー。 憐れな晒し者奴隷ちゃんから食費まで取ろうっての? 私、晒し台に載せられたまま、なーんにもできないもーん」
「ぐっ」
「ね? カオルも食べれば」
「こうなりゃヤケだ」
猛然と食べ始めたカオル。
あっという間に私に追い付いた。
会計の時、私がちょっと心配になるくらい青い顔をしていた。
まだまだデート気分で、電車にのって帰る。
電車で座って、カオルの肩にポソッともたれた時。
「なあ、ナナ。 これでギチギチに縄で縛って、首輪して、そのブーツでお出かけしたらどうなるんだろうな?」
「ふえっ!」
か、カオルの口からそれを言うの反則ゥ!
「ふわああああ!」
短いけど強い興奮に襲われて、一瞬で頭の中が真っ白になった。
それからどう帰ったか良く覚えていない。
駅で散々お説教みたいに色々と言われて、でもボーッとしてて、それでも一人で歩かされて、うちに戻ったと思う。
夜、お風呂で足を揉みながら思った。
あの女性も絶対何か『命令』されていたんだ、きっと。
今日一日の私とそしてあの女性と、それ以外の皆を隔てる物。
それは、多分、『命令』だ。
あの女性が私に笑い掛けたのは、多分自分と同類だと思ったからだろう。
カオルとやってるこんな『息抜き』がいつまで続くんだろうと心配になることはあるけど、結婚してもああやって淡々と続けることが出来るようで安心した。
でもその時は私の身体、そのままでいられるのかな、なんて考えて、不安半分、興奮半分のゾクゾクに満たされた。
(おわり)