テトラポッド

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  バケツ  




テトラポッド




 バケツ


 宿に戻ってから、お気に入りのブレスに付けていたアザラシのヘッドがなくなっているのに気づいた。
「ショックー! あの動物園って、行くのも入るのも大変なのにー」
「高いものじゃないのでしょ、また買えばいいじゃない」

 気の合った女ともだち3人で、一夏のアバンチュールを求めて海へ来た。
 民宿でザコ寝というのが何とも安っぽいけれども、あたしたちのお小遣いでは仕方ない。
 りょうこは『丘の上の高級ホテルに泊っている男の人と仲良くなって、そっちへ移るからいいよー』と釣る気満々だ。
 ひろみは素でお嬢様系のくせに、なぜだかあたしたち3人の中に入っている。
「ひろみこそお父さんに言えばあの高級ホテルに泊まれるんじゃない?」
「んー、株は持ってるって言ってたけど、私はまなみちゃんやりょうこちゃんとこうして遊ぶ方がいいな。親がかりってそれなりに気も遣うよ」
「そうかあ、あんたほんとにいいコだね」

 みんなが寝てから、あたしはどうしてもあのアザラシのヘッドが気になって、懐中電灯を持って探しに行った。
 あたしたちがシート敷いて陣取っていた場所は、ビール会社の宣伝のノボリを立てる太い杭のそばだったので、
 それを目標に2〜3平方メートル四方を探せば、月明かりと懐中電灯だけでも充分だと思ったからだ。
 それで見つからなければ諦めよう。
 明日になって、人が沢山通ってドカドカ砂を蹴れば、もう見つからないだろう。
 国道沿いの宿の窓からも見えるこの場所、探す手間も、諦めるまでの時間も、すぐに済むと思っていた。

 幸い、アザラシのヘッドは簡単に見つかった。
 それを短パンのポケットにねじ込み、無粋な懐中電灯を消して、満天の星を見上げながら視線を落とすと、国道の向こうにあたしたちの宿が見えた。
 そこに向かってザッザッと砂を踏みしめて歩く。
 あたしたちの部屋の開けっ放しの窓を通して、暗い室内の天井の電灯が見える。
 あの下でひろみもりょうこも、浴衣をはだけてぐーぐー寝ているのかと思い、クスッと笑った。

 突然、国道を守るように並ぶテトラポッドの向こうで、人の声がした。

 夏・海岸・夜、とくれば、当然密かにいろいろな人が出てくるのだろうとは思っていたけど、人数が多い。
 暗くてわかりづらいが、男3人と、女の人が一人?
 こういうのを集団プレイっていうのかしら、自分の全く知らない世界が目前で展開しそうで、こっちにあるテトラポッドの陰に隠れて、じっと見守った。
 距離が30mほどあるので、人相や表情はわからないけど、全体の様子はよくわかる。

 女の人が裸にされ、股やお尻に何かを突っ込まれた!
 ちょっと、マジ? お尻にって……

 男の一人がウエットスーツのようなものを女の人に着せてゆく。
 そのウエットスーツには小さいベルトが付いていて、男3人がかりでそれを次々締めて、女の人は瞬く間に頭まで黒い棒のようにされてしまった。
 顔からは太いチューブのようなものが50cmくらい出ていた。

 そして3人がかりでスコップを使って穴を掘ると、その黒い棒状の女の人を、その穴に立ったままの状態で埋めた。
 激しく低い呻き声が聞こえた気がしたが、男たちは猛然と砂を埋め戻すと、最後にバケツを逆さに被せて立ち去った。

 あたし、ひょっとするとものすごいプレイを目撃しちゃった?
 宿の部屋に駆け戻って浴衣に着替えると、パンツがべっとりと湿っていた。

 布団にあおむけになっても、蒸し暑さと興奮とでなかなか眠れなかった。
 確かに人間を埋めてた。
 ギチギチに拘束して。

 寝返りの回数が20を超えたころ、昼間泳いだ疲れが興奮を追い抜き、やっと眠りに就いた。


 翌朝目覚めてもボーッとしていた。
「まなみ! そのアザラシちゃん!」
「ん? ああ、夜中に探しに行って見つけたの」
「良かったじゃない、みつかって」
「まぁね」
「なによぅ、なんか元気ないじゃない。さあ、行こうよ、今日こそセレブな彼氏げっとだぜ」

「げー、ひろみ水着変えるのー?ひろみがビキニにするの反則う」
「ええぇ?そう?だって着てない水着が余ってて……」
「チッ、これだからお嬢様ってやつは」
 巨乳でスタイルの良い、真っ白いモチ肌にやんわりと食い込む紐ビキニは、まるで陶器の人形に穿かされたシルクの
下着のように、淫らさと美しさのギリギリで、女のあたしが見てもドキドキしてしまう。

 りょうこは性格通り、活発さが溢れる引き締まった体で、本人気にしているが若干筋肉質だ。
 あたしは、まあ2人の中間かな。
「えー?りょうこも水着変えるのー?」
「あんただって昨日の浜の様子見たでしょ? 下手すりゃブラジル水着だってアリなくらいの細ッそい水着ばっかりだったじゃない。このくらいしなくちゃ目立たないわ」
「うー。あたしも他の持ってくれば良かったなー。と言っても、お金なかったけど」


 宿の朝食をかき込んで浜に出た。
 とたんに浮かれた気分がフッ飛び、水着の紐が揺れる背中に、大粒の汗が浮いた。

 あの、バケツが、ある……

「ちょっと、まなみ、どこ行くの?」
「ごめん、昨日のところに行ってて!すぐ戻るから」
 30mほど離れたテトラポッドの近くに、昨夜見た女の人が埋められたバケツがあった。
 そこだけ周囲の砂の色が違い、間違いなく昨夜掘り返されたのだとわかる。
 しかしその砂も太陽の光に徐々に乾いて、周囲のトーンと同化しつつあった。

 バケツの手前5mくらいであたしはじっと立ち止まり、それからゆっくり近づいた。
 早朝の、まだ熱気の篭らない浜の空気の中、あたしだけが砂漠にいるような暑さを感じていた。
 普段は割とカンの良いあたしも、バケツに全神経を吸い寄せられ、周囲から射るように見つめる3つの視線には気づかなかった。

 恐る恐る近づいて、その古びたプラスチックのバケツの前に屈み、息を呑んで、両手でそのバケツを掴んだ。
 黒い頭か、チューブの先か、何がしかの異物を期待して、そのバケツをどけた。

 ゴクリ。

 しかし、そこにはバケツの形にまるく湿った砂が残っているだけで、何もなかった。
 念のため手で砂をかき分けたが、何かが埋まっていそうな気配すらなかった。
 昨晩見た出来事が現実だとすると、あの時確かに、少なくとも突起のような物にバケツを被せていた。
 だから真っ平らで、浅い部分にも何も触れないということはないはず。

 あたしは安堵し、バケツを戻してその場を立ち去った。
 でも背中に感じるイヤな予感のようなものを、どうしても拭うことができなかった。

「まなみ〜、何してたの?」
「ごめん、ちょっと…… それより何する?」
「午前中は風が涼しいからもっぱら焼くわぁ。午後になったらひたすら泳ぐ、かな」
「いいね。ひろみは今日も読書?」
「うん、泳ぐのニガテだし。荷物番は任せてよ」
「それじゃ悪いよ」
「ううん、私が勝手にやってることだから。食事はいっしょに行きましょ」
「うん」

 パラソルを借りてきて建て、影の方向をチェックし、顔にタオル巻いてしばらく体を焼いた。
 周囲のざわめきがだんだん増してきて、浜が雑然とした活気で満たされてゆく。

「ねぇ、喉乾かない?」
「うん、もう随分焼いたもんね。行く?」
「行こうか。ひろみは何かいる?」
「んー、確かフローズンコーラあったよね。Mサイズで」
「おっけ」
 あたしとりょうこは立ち上がって浜茶屋に向かって歩き始めた。

 喉乾いてるって言ったくせに、りょうこがソフトクリーム頼むもんだから、あたしも食べたくなった。
「あたしもそれ」
 ソフトクリームそれぞれと、あたしはひろみのフローズンも持ち、いざ会計しようとしたらサイフが無い!
「りょうこ持ってないのー?」
「あたしはまなみが持ってるとばかり……」
 ソフトもフローズンも、そのまま返してゴメンナサイとはいかない代物だ。
「どうしよう〜」

 りょうこがあたしに自分のソフトも持たせ、サイフを取りに戻ろうとしたその時、背後から声がした。
「良かったらオゴろうか?」
 もーナンパにしたってくだらなすぎるキッカケ作りに閉口して、どよんとした目で振り向いた。
「あー、いーです。今からこの子がー、サイフ取りに戻るんでー、おぐウッ!!」
 あたしの語尾はりょうこの肘テツで、ぐぼあと濁った。
「(あんたッ!こんなチャンスをみすみす逃がす気ッ!)」
 ソフトとフローズンを持っているので、痛い脇をさすることもできないまま、もう一度ちゃんと見ると、確かにりょうこ好きのするイイ男3人。
 声を掛けた人が身長180cmくらいで一番背が高く、頤のしっかりした美男子タイプ。
 他の2人も悪くない。
 一人は慎重175くらいの短髪好青年。
 もう一人はやや太ってみえるが、スポーツで鍛えていそうなガッシリした体つきにマジメそうなメガネ顔。
「ほんとに大丈夫? サイフのある所まで遠いんじゃないの?」
「んー、じつわぁ、ちょっと遠くてぇ、困ってたんですぅぅー」
 そのしゃべり方やめい。
「ならおごらせてよ。ほら、君らの後ろにお客が詰まっちゃったよ」
 振り返ると険悪な顔で睨む客がズラリと列をなしている。
「うあ、いつの間に……」
「ね?」
「それじゃぁ、お言葉に甘えて……」
 素直におごってもらい、ソフトを舐めながらひろみの待つ場所へ戻った。

「その人たちは?」
「えへへー、オゴってもらっちゃった。はい、ひろみの分も」
「ええー? すみませーん、ホントいいんですかー?」
「うん、どうぞどうぞ。そうだ、せっかく3対3なんだから一緒に遊ぶ? 僕らボート借りてるんだ」
「えースッゴーイ!」
 ひろみまでノリノリになってきた。

 ボートでのクルージングはリッチで最高の気分だった。
 実際あたしはマトモにナンパされたのなんて今回が始めてだった。ナンパもいいもんだ。
 午前中はボンヤリ日焼けだと思っていたのに、がぜんアクティビティーが増して充実した。
「僕ら大学のサークル仲間でさ、丘の上のホテルに泊ってるんだ。良かったらそこのテラスでお昼なんてどうだい?」
 イモを洗うってほどじゃないけど、ゴチャゴチャ混んでる海岸を風景の一部として見下ろし、
 水着のままテラスレストランで優雅に昼食なんて、まるで夢のようだった。

 でも、どうしても何か引っかかる。
 昨晩見た3人組の背格好が、この3人に似ていることに気づいた時、フォークを握る手の中に、
 あたしだけジットリと汗をかいた。

「きみ、小説すきなんだ。何読んでるの?策間真一?あー僕も好きだなこのひと。でもエッセイの方が面白いよね」
 メガネの人が話し掛ける。
「あ、そうそう、そうですよね。小説だと柔らかい文体なのに、なんでエッセイは辛口なんでしょうね」
「何かのインタビューで、エッセイの方が素だって読んだよ。小説はあれでウケちゃったから続けざるを得ないみたい」
「わあ、詳しいんですね」
 ひろみが嬉々として男性と話すなんて珍しい。

 りょうこは金髪に近く染めた頭を短く刈った男性と楽しげに話している。
 りょうこがチラッ、チラッと見ているのはその人がしている腕時計だ。
 あたしにでもわかる有名なR社のダイバーズ、金ムク。
 健康的に日焼けした肌にミサンガ風のアクセと絡めてあるので、嫌味になってないところがすごい。
「僕ら医大の3年でさ、そろそろ実習とか忙しくなってくるんで、今年の夏は思い切り遊ぼうって思ったのさ。君らみたいにかわいい子たちと知り合えて嬉しいよ」
「キャッ、やだあー!でも皆さんお金もちーなんですね」
「大学生だからね、悪く言えばボンボンだよー。でもね、奢らず溺れず、与えられたものを有効に使うのはアリでしょ?今の時代」
 あたしの向かいの長身の男性が口を挟む。
「ハハハ、お前そんなこと言ってるけど、結構きついバイトやって遊ぶ金作ってるじゃないか」
「まあね」
「そうそう、そっちのまなぶなんてオタメガネだったのに今年に入ってからジム通いして、インスタント筋肉マンになったもんな」
「バカ、バラさなくてもいいだろ、ちゃんと続いてるんだから」
 メガネの人は一瞬神経質そうな表情をしてメガネを指で押し上げた。

「いやいや、こうサクッとイイコたちと出会えるとさー、なんか手慣れてるって誤解与えそうでしょ?だからこうやって『努力もしてんのよー』ってところをアピールしてだな」
「じゃぁ、あなたは…… えーと」
「あ、ごめん、僕、けんじ」
「じゃぁ、けんじさんは何を努力したんですか?ウフフ」
 あたしはいたずらっぽく尋ねた。
「僕はもう前っからこうだから……」
「うそつけ、高3までヒッキーだったくせに」
「あ、バカ、そんなのもう時効だろ?」
「うっそー! あたしにはけんじさんが一番カルくみえますよー?」
「だからー、昔の話よ。でもまぁ、こう軽いノリで喋りつつ、対人恐怖を抑え込む心臓バクバク感がたまらないわけで、そういう意味では努力してっかな?ハハハ」
「そうそう、申し遅れてごめん、僕よしお」
「僕はまなぶと言います」
「りょうこでーす!」
「まなみです」
「私、ひろみです。私なんか混ぜてもらっててもいいんですか?」
「もーちろん!まなぶとだったら話も合いそうだし」
 ひろみははにかんだ笑いをして視線を落とした。

「お腹も落ち着いたし、浜へもどろうか」
「はーい」
 定番だけど、波打ち際でビーチボールを打ち合って6人で遊んだ。

「あちあち、私やっぱり日焼けだめだな。ちょっと休んでくる。ごめんね」
「あ、ひろみちゃん」
 メガネのまなぶさんがすかさず追っかける。
「ひろみは白いからねー」
「透き通るような肌はうらやましいけど、大変そうだねー」
 ボールを打ち合いながら、残った4人で噂し合う。
「まなぶならいきなり手ぇだしたりしないだろ」
「あははははは」
 ちらっと見ると、まなぶさんとひろみは、あたしたちのパラソルの所へ戻り、並んで座って楽しそうに話をしている。
 あたしたちはしばらく遊んでからひろみ達の所へ戻った。

「よしおさんてー、泳ぎうまいんですかー?」
「あの沖のブイくらいまでならカルいよ」
「ちょっと、りょうこ、あんた泳ぎは得意中の得意じゃない」
「あ、バカ、しーっ!」
「あ、ごめーん……」
「アハハ、そんなの体つき見ればわかるよ」
「いやーん、ハズカシー! よしおさんエッチー!」
 そのクネクネやめろって。
「得意ならブイまで泳ごうか。まなみちゃんもどう?」
「あーごめんなさい、あたしパスー」
「僕もー」
 けんじさんも運動バリバリ系ではないようだ。
「僕、この子と部屋まで本を取りに行ってくる」
「おー」
 まなぶさんとひろみがいなくなり、パラソルの下はあたしとけんじさんだけになった。

 楽しい時間を過ごし、もうこの時には、この人が昨晩の3人のうちの一人かもしれないなんて疑いもしなかった。



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