絶対手に入らない究極の画像
「よ」
当然のことながら、良一はきまり悪そうだった。
「さっさと終わらせようよ」
「ああ」
私もなんとなくあのボンデージ写真を見て妙な気分になった後ろめたさがあり、無理に追及して重苦しい雰囲気を引き摺る必要も無いと思ったので敢えて口に出さなかった。
良一は自分の机で、私は良一のベッドをテーブル代わりにして床に座るような格好で宿題を始める。
「なー、こういう場合って at でいいんだっけ」
「そうだよ。それこそ今日教わったじゃん」
「そうだっけ?」
「もう!」
「だからこうやって一緒に宿題やってんだろ? やっぱ効率いいよな」
「まあそうだけどさ」
「これって最後の問題は could 使えばいいのか?」
「あたし違う」
「ま、いいや、全部同じじゃまずいもんな。よし、終わりっと」
「あたしも終わりー。 うー、英作文嫌い〜」
「俺もー」
私は宿題終わっても、それでもやっぱり何か一言言わなきゃならない気がして、ぼんやりと良一のベッドに座ってた。
「陽子、もう夕飯じゃないの? 何ぼんやりしてんだよ。あ、アイスか? でも食事直前はやめといたほうがいいぜ」
「違うわよ。ねぇ、こないだの画像見せてよ」
良一はギョッとなって視線を逸らせた。
「ばっ、ばか、もう消したよ!」
「うっそだぁ! そう簡単に消すわけ無いでしょ? 移動したかリンク削ったかメディア変えたか、どうせそんなとこよ」
「ホントだよ! 後腐れ無いように、ゴミ箱完全消去ソフトまで掛けたんだからな! もう泣きそうだよ。何年も掛けて集めたのに……」
良一にしては普段あまり見せない、真剣にガッカリした顔。
「あんな画像集めるヤツは、何年掛けてどんだけ集めたって、どうせ永遠に満足しないわよーだ」
「バーカ、俺にとっての究極の画像ってのはちゃんとあるんだよ。……近くにあるのに、絶対手に入らないけどな」
「アッハッハ! なーにそれぇ! どうせ口から出まか…… ッ、ハッ!!」
突然あることを思いつき、息を呑んだ。
瞬間的に脳内に沸いた高温の熱流に視神経が侵され、ぐにょりと視界が歪む。
得体の知れない興奮が下腹部から脳天まで駆け上り、私は一瞬で耳が焼けるほど顔が真っ赤になった。
「どうした?」
「ッあッ! ななな、なんでもない!」
『近くにあるのに、絶対手に入らない画像』……
私……知ってるよ……
淳子との会話で、良一の画像集めの目的を既に把握してしまっている私には、良一が言い放った瞬間に、それが何だかわかってしまったのだ。
それは……
多分…… 私のボンデージ画像。
ドクドクと心臓が高鳴り、今度は全身の興奮に襲われた。
私が……ボンデージを……着る……
私が……ボンデージを……着せられる……
ボンデージなんて、まるで事件や事故のニュースのように、日常の自分とはあまりにもかけ離れた、それこそテレビや雑誌やネットの彼方での絵空事だと思ってた。
それが、急に現実味を帯びて私の身近に現れた。
そして、そのことに気付いただけで、今まで経験したこともないような興奮に襲われた。
『そんなモンで興奮する位なら、私のボンデージ姿でも想像しながら恥ずかしいオナニーしろってんだ!』
勢いで思いついたことが、今まさに現実になろうとしている。
耳の熱さが少し落ち着いたところで、良一の目的を確認するためにちょっとカマをかけてみようって考えた。
「『絶対手に入らない画像』って言っても、どうせあんなボンデージ系のモンでしょ? ま、オトナになった頃に出会うんじゃない? そん時は干渉しないからさ、好きにやんなさいよ」
「いや、その気になれば今でも手に入るのさ。準備はしてあるしな」
『準備』って…… やっぱり!
ドクドクと心臓の鼓動が速くなる。
ぐるぐると血が駆け巡る頭で、辛うじて反論する。
「あ、あんた言ってることが滅茶苦茶だよ? 手に入らないのにいつでも手に入るって。……だいいち『準備』って、どういう意味なのさ。準備して手に入るなら、さっさと手に入れればぁ?」
良一が真正面からじっと私を見る。
「な、なによ!」
私はまだ耳がちぎれそうに熱い。
真っ赤な私の様子から、良一は何かを感じ取った様だった。
真顔で、少し勿体付けて良一が口を開く。
「あのね、要するに、ある人がボンデージ着た写真があれば、俺は満足するんだ。そのためにボンデージ衣装を買ってあるんだ。これが『準備』さ」
良一はクローゼットを開け、中から黒い塊を取り出した。
プンと鼻をくすぐる新しい革の匂い。
水着用のハンガーに絡みつくように吊られたソレは、革ベルトと金属のリングとバックルだけで出来た紐水着のようなモノだった。
私は真っ青になった。
幼馴染の、全幅の信頼を置いているはずの良一が、まるでドラマの悪役のように、私の身体をいびつに歪め、その淫靡な衣装に私を押し込めようとしている。
自分が露骨に性の対象として認識されたことを感じ、嫌悪感と不快感と恐怖を覚えた。
しかし同時に、私の意識のどこか遠くで、自分がそう認められたことを嬉しく思い、その現実離れした非日常が、すぐ身近になったのを感じて、身体の奥がじゅくん、と熱く緩んだ。
「陽子、わかってるよな? 俺の頼みたいこと」
「え?」
潤んだ目で真っ赤になって良一を見つめる私の表情は、完全に恋人のそれだった。
ハッと我に返る。
「ちょ! バッ! バッカじやないの!? だっ、誰がボ、ボンデージなんか! ききき着ると思ってんのよ!」
「ダメか? 着るだけだぜ」
ああっ!
ああっ!
ああっ!
私の中の誰かが、ここで認めてしまうともう戻れないって激しく警告している!
それが誰なのか、何がダメなのか、ぜんぜん把握できないけど、もし人生の中で今こそが岐路だと認識する瞬間があるとすれば、それが正にこの瞬間なのだと激しい警報が脳内に鳴り響く。
「着る……だけ……?」
なんで人間は、処理すべき爆弾、ヤバく赤熱を始めた爆弾を、果たしてどうなるか見届けようとするんだろう。
赤熱を認めた段階で、そんなもの見つめてないで全力で逃げるのが最善策だとわかってるのに。
なんで私はその場から逃げず、質問を繋ごうとしてしまうのだろう。
「ダハッ、お前難しく考えすぎだよ。こんなもん、洋服の一種だぜ。そりゃぁエグいっちゃエグいデザインだけどさ。それ言ったら学校指定の水着だって見方によっちゃエロコスになっちゃうだろ?」
ああっ!
詭弁だよ、詭弁過ぎる。
でも私の心の好奇心が、この詭弁に反応し始めちゃった。
「き、着ない!」
「えー?」
「でも、こここ構造とか…… 見たい……」
「えー? そこまで言うなら着て見せてよ」
「ばばばバーカ! 万一着ても、見せるもんですか。あんたは一生『欲しい画像』なんて手に入んないのよーだ」
その時の良一の残念そうな表情は忘れられない。
私だって真剣にそんなの恥ずかしいからこそ反論してたんだけど、それを考慮しても、拒否したことを私が後悔するほどに。
「ま、まぁ、わわわ私も突然の話で驚いたっつーか、そそそういうわけだから、慣れるってか、見てみたいってか、預かってもいい?」
良一はパアアと明るくなった。
くそっ、甘いなぁ、私。
「ごめん、また調子に乗って俺のことばっかりだったな。客観的に見ても絶対似合うって思ってたから力入っちまった」
うわあ、急にいいヤツぶって譲歩しはじめた。
これも罠に決まってる。
でも……
「あれだよ、やっぱ、着る人の方の主観じゃない?」
「そうだよな。ごめん」
「いいよ。良一があたしに似合うって想ってくれてたの嬉しかった。期待しないで待ってて。10年くらい?」
「10年かよ!」
「アハハハハハ」
「プッ! プハハハハハ!!」
私は笑いながらそのボンデージコスを水着ハンガーのまま受け取り、無造作に通学バッグに仕舞った。
張り出したハンガーの枠が引っかかってチャックが閉めにくかったが、なんとか納まった。