檻姫

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  四 地下牢の虜  

 不快な熱気と目に染みる脂汗で目が覚めた。頭がガンガンする。横倒しの姿勢で目に入ったのは、赤々と燃える炉と、頭巾を被った2人の男。ぐるりを囲む石積みの壁や、床に雑然と置かれた作りかけの甲冑や木枷。
 あの工房だ。
 ハッと起き上がろうとしたが、ジャリンと引き戻された。後ろ手に手首が繋がれていて起き上がれない。足首もまた鉄の枷を嵌められ、短い鎖で繋ぎ合わされている。
「ムオフッ!」
 咄嗟に『これは!』とか『ここは!』とか言おうとしたが、喉の奥までヘラ状のものが伸びる木製の口枷を噛まされ、言葉を発することができない。
 やられた。
 あれだけ父上から毒に気をつけろと言われていたのに、剣への慢心と不埒な行為への憤りから軽率に動いてしまった。本来なら部下を配置し、軍を城外まで集めておいて、もっと人目のある公の場で追求すべきだった。
 しかしもう遅い。
 いずれ剣のことで露見するとはいえ、しばらくは皆、私の偽物のおかげで何事も無かったようにだまされてしまうだろう。
 その間に私は……

 王国の城下で目にした光景が蘇る。
 全裸で晒される領主の娘。
 衆人環視の中での無力な排泄。
 革の人型の鞘。
 小さな木箱。

「起きろ」
 頭巾の奥から目だけぎょろつかせ男が叫ぶ。きっとこの者達には私が王女だとはわからないのだろう。生まれて初めて侍女以外に晒した全裸に羞恥する間もなく、虜囚の辱めを受ける屈辱に全身が震える。
 ますますあの広場での娘が思い出される。娘は突然の身分の変化に狂乱し、それを仕方ないことと眺めていた私。グッと心臓を突き上げられた気がした。
  仕方ないこと…… 今のこの虜囚の身分は自分の判断の甘さ…… その代償…… 戦場ならば死んでいたかもしれない。
 たった今まで心を支えていたものがポキリと折れそうになった。

 一人の男に引き起され、髪の毛をまとめられ、布の袋を被せられた。いきなり処刑かと思ったが、しかしそのまま引き摺られ、頭を何かぐちゃっとしたものに押し当てられた。右側半分が済むと、今度は左半分。布を外されると一旦手鎖と足鎖が外され、壁際に立たされ、壁の環に四肢がそれぞれ繋がれた。
 激しい槌音が響き始め、鎧の部品が出来上がってゆく。男達はそれぞれの部品を私の体にあてがっては、叩いて調整してゆく。無骨な風体とは裏腹に男達の技は繊細で、みるみる私の体にぴったり合う美しい鎧が出来上がっていった。
 作業が終わると上を向かされ、口枷の脇から漏斗のようなものを差し込まれ、何かドロドロしたものを飲まされた。
 鋼鉄の首輪を嵌められ、手枷は再び後ろ手に繋がれ、足枷も歩けるほどの長さの鎖で繋がれ、亡くなったはずの妻が檻に入れられていたあの牢に移動させられて繋がれた。

 明かりの無い、真っ暗な牢の奥には、すでに何者かが居た。私の周りだけは廊下から漏れる光で薄明るい。牢の奥の暗がりから、か細いけれど美しい声が響く。
「ハァ……ハァ…… 新しい、奥様ですね?」
「ウーーッ!」
 否定の叫びも声にならない。
「大丈夫です、バルベロッテは……決してあなたを殺したりしません…… はう。でも、もうあなたに自由は無いんです…… この狭い檻の中か、革製の全身衣装の中か、中庭の彫像の中か、ガラスの燭台にされたことも……ああ……」
「ウーッ!」
「でも早く慣れなさい…… 最初は…… 狂わされます…… バルベロッテのやり口なのです…… 何日も…… 固定され…… そうして生かしておく方法を彼は知っています…… その中で…… あああああ! おんなを…… 女を責められ…… でも逝けない…… そうして狂わされます…… あれに耐えられる女はいない…… ああ…… ピクリとも動けず…… 狂わされ…… やがてああ!! はふ! ハフッ! あの快感が! いやっ! イヤッ! やああああ〜〜!」
 暗がりでガチャガチャガガガと激しい音がしたかと思うと、すぐ静かになった。
「ハァ…… ハァ…… あなたも…… 逃げるなら…… この器具を入れられる前に…… お逃げなさい…… 最初は痛いだけでした…… でもずっと不自然な姿で…… 責められ続けるうちに…… しびれがきれ……」
「絶望に襲われ…… 手足の感覚が無くなると…… コレが…… これが動くのです…… 中を擦って…… コブを噛みしめて…… お腹の奥にある幾つかの泣き所を…… 女の急所を…… 容赦なく突起が突くのですああああああ!
ごめんなさい、また、また、ああ! まあああああああ!!! ……んんん……」
「ウーーッ!」
 耳が熱くなる程の淫らな艶を含む言葉を受けて、私はわけもわからず叫ぶしか出来なかった。

「ごめんなさい…… 何の仕掛けもない、突起のついた金属の太い棒なのに…… 自分の力で…… 締める力で…… 動かして…… しまうのです…… 何人かの新しい奥様に…… ここで会いました…… 私は…… 自分が何人目か…… 知りません…… でもみんな生きています…… バルベロッテは…… 私たちを長い間拘束して…… 放置しては…… 順番に取り出して楽しむのです……」
「できれば…… あなたには…… 逃げて欲しい…… でも…… はう! でも…… あなたのような美しい方が…… ぎちぎちに固められ…… 狂わされ…… 私の仲間になると思うと…… か、感じてしまうのですぁぁごめんなさいあああああ!!」
「ウーーッ!!」
「ああ、時間が…… 口枷のゼンマイが……もう…… やっぱりお逃……ムゴッ! ムーーーッ! ンーーーッ!!」
 それっきり呻き声しかしなくなり、私は太腿を摺り合わせている自分に気がついて真っ赤になった。
「ムーーーーーン!!」
「ムムーーーーン!!!」
 暗がりから響く淫らな呻き声は止まず、すすり泣きと切ない吐息が周期的に混じる。私の数日後の未来が、すぐ目の前の暗がりの中にある気がして、今まで感じたことのない感情に襲われたまま眠り込んだ。

 激しい金属の音で目が覚めると、牢の中にあの小さな檻が運び込まれていた。それと同時に、奥の暗がりに居た者を、檻ごと台車に載せて運び出して行った。檻は真新しく、私のために、私の体格に合わせてわざわざ工房で作られたもののようだった。
 また得体の知れない感情に襲われた。
 そこに自分の体を収めることが、策に負けて虜囚となった私への当然の罰のように思われたのだ。

 檻は蝶番によって上面と前面が一体となったまま大きく上に開き、底にはU字型をした申し訳程度の座面が付いていた。
『何日も固定して生かしておく方法を知っています……』
 なまじ鉄格子が尻に食い込む構造よりも、長期間解放される見込みの無い仕掛けに、背筋を冷や汗が流れた。
 私は抱えられ、檻の中に座らされた。手は後ろ手の鎖のまま檻の背面に固定され、足を曲げて檻の中に引き込んだところで足枷の鎖が外され、少し股を開いた恥ずかしい姿で固定され、檻が閉じられた。尻は少し楽だが、背中も肩も腕も腰も脛も、全部が檻の格子でぎちぎちに押されるほど、狭く不自然な姿勢だった。男達は檻ごと私を掴んで、牢の壁際にある腰ほどの高さの石台に乗せた。
 男達が去り、牢の中に小さい檻いっぱいに詰め込まれた私だけが残った。王女の身ながら体の丈夫さには自信があったので、そう簡単に音を上げるつもりはなかったが、そんな私の甘い考えは、この「檻詰め刑」とでも呼ぶべき処刑が始まった直後から、あっさりと打ち砕かれた。

 全身の肉が軋み、鬱血の痺れに脳が焼かれる。ほんの僅かな身じろぎすら許され無いことが、こんなにも辛いとは。外見はただ静かに檻の容積のままに、ミチミチと身を預けているように見えても、私は一秒たりとも安らぐ事を許されず、動けぬ身体の内の筋肉に力を込め続けて、叶わぬ落ち着き所を求めて蠢いている。
 やがて、恐れていた便意も襲って来た。こんな姿で排泄するなど、想像もできな……  いや、あの処刑の娘だ…… あの姿だ……体位は違えども、私はアレになるのだ…… されてしまうのだ……
 この檻詰め処刑に組み込まれた、私を壊すための恐ろしい術式。まだ公衆の前でないのが幸いだ。
 気が遠くなるほどの時間が過ぎ、 ……私は自分の体の生理に屈し…… 抵抗も虚しく、大も小も屈辱の排泄をしてしまった。石台の下は便壷になっているらしく、檻の中を汚す事は無かったが、無抵抗な自分が急に激しく惨めに思えて、涙と嗚咽が止まらなかった。
 あの娘の目が思い出された。
 尊厳に見捨てられたような、普通の人間の生活を諦めたような、そんな目を、今私もしているのだろうか……
 皮肉にも、屈辱の排泄によって腹の容積が減り、少しだけ体が楽になった。

 排泄の問題は一時的に過ぎ去ったが、鬱血による痺れはまだまだ凄まじく、肉の周囲に余裕の無い部分の方が先に感覚を失っていった。 
「コフ…… オオウ……」
 声を出すと幾分楽な気がして、意味もない声を絞り出す。
 全身の辛さは、普通の生活をしている者には想像もできないだろう。風邪などを引いて、床に伏せっている時に、仰向けでただ真っ直ぐ寝ているだけでも辛いのに、あのやり場の無い身体の退屈さが全身を襲い、それが無限に続くのだ。
 きついよう……
 つらいよう……
 母上……
 父上……
 王女としての、剣士としてのプライドが、あの屈辱の排泄とともに、半分以上、体から流れ出て行ってしまった気がした。

 気が遠くなる程の時間が過ぎた頃、全身の痺れは麻痺し切り、とうとう私の体は、自分自身では丸い肉の塊にしか認識できなくなった。
 最初にこの牢で会った、あの檻詰めの女の人の居た世界…… 体が肉塊にされ、心だけが妙に澄んだ世界…… ここにずっと、あの人は居たんだ。
 ……
 ちがう…… ちがう、ちがう! ……喘いでた! あの人はずっと喘いでた!
 今の時点での私には、何かが激しく足りない!
 そしてその足りないパズルのピースこそ、私を、もうこの世界から抜けられなくさせられてしまうような、恐ろしい罠に思えた。
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